朝倉青果市場の直営店「吉祥果」。
九州一の繁華街・福岡市天神にありながら、新鮮な青果がふんだんに並び、都会のオアシス的存在として多くの人に親しまれている。
だがこの店にはもう一つの重いミッションがある。
それは「九州北部豪雨」の被害から復興しようとする地元、福岡県朝倉市の熱い思いを、世に発信し続けることだ。
試練の始まり
「なんか、雨が降り続いてひどいことになっとう…」。
2017年7月5日夕方。朝倉青果市場の専務・廣瀬京子さんの携帯電話に、夫の修一さんの切迫した声が響いた。
「何のこと?」。福岡市にいた京子さんは、キツネにつままれたような思いだった。
もともと地元には大雨の予報はなく、福岡市でも曇っているだけ。「そもそも際限なく降り続く雨などあるわけがない」。
だがそんな京子さんの思いとは裏腹に、朝倉の雨のニュースはその夜、世界中を駆けめぐった。
死者40人、行方不明2人、住宅被害3121棟(※)――。「ASAKURA」が一夜にして被災地の代名詞になった、九州北部豪雨だった。
「被災地」と見られたくなかった
「なぜ自分たちが…」。
京子さんの長男で、市場の執行役員を務める喜一さんは唇をかんだ。
朝倉は福岡県南部、筑後川の右岸に位置する静かな農業地帯だ。決して有名ブランドを擁する産地ではないが、それでも純粋に「いい青果」で勝負したいと考えてきた。
そのために廣瀬さん一家がひねり出したアイデアは「福岡のど真ん中で青果を売る」。
2001年、福岡市天神の商店街「新天町」で市場直営店を初めてオープンした。
新天町には、高級服飾や宝飾、文具などの重厚な老舗が軒を連ねているが、その一角に新鮮な青果が並ぶ。天神でこんな大胆な商法をやってのけた青果店はほかにない。
物珍しさが評判を呼び、のちに店舗を増やすなど、商売は軌道に乗っていた。そんなさなかだっただけに「初めは『被災地』なんていう目で見られたくなかった」と喜一さんは振り返る。
休まなかった農家
だが豪雨を受けて朝倉の農業がストップしたわけではない。
被災直後でも、青果市場には野菜や果物が続々と持ち込まれていた。
豪雨で田畑に土砂が流れ込んだ農家は生産できなくなったが、そうではない農家では、家が被災しても作物が育ち続ける。
それらを売り出そうと、休むことなく避難所から通い詰めて田畑に立った農家がいた。
また青果市場にも水は押し寄せたが、幸い冷蔵庫も機械類も浸水することなく、ほぼ無傷ですんだ。
「だったら売らなければ。買っていただかないことには農家にお金が入らない。復興もできない」。
京子さんと喜一さんにも休む暇はなかった。
「よその農家に負けたくない」
とはいえ避難所生活を送った農家は多い。なのになぜ朝倉の農家はなぜ復興できるのか。その理由を、喜一さんは農家の「アーティスト気質」にあると見ている。
例えば一直線のキュウリを作ることだけに全てを賭けている農家がいる。
キュウリは決して「花形」の青果ではないし、多少曲がっていても気にする一般の消費者は少ない。だがまっすぐなキュウリは、包丁を握る料理人の手になじみやすく、日持ちも良いとされる。
それをよく知るからこそ、その農家は堆肥で土作りをし、さらに農薬の回数を制限するなどして、ほかの農家がかける何倍もの手間を費やす。
「よその農家よりいい物を作りたい、よその農家に負けたくない。その一心なんですよ。その意思の強さが朝倉の強さなんですよね」と喜一さんは力を込める。
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「お金が入らないと復興できない」
そして吉祥果の店頭でも変化が出てきた。客足が目立って増えてきたのだ。
「朝倉の店ということが広まったのでしょう。お客さんにほぼ必ず声をかけられ、同情されるようになった」と喜一さんは言う。
「朝倉の米をどうしても食べたくて」「朝倉を応援したいから」――そんなお客も訪れるようになった。
やがて「被災地となってしまったからこそ、それを逆手に取ってPRできる」と喜一さんは感じるようになった。だがそれは「被災地」というブランド化が目的ではない。
「ただ買ってもらいたいだけなんです。買ってもらわないとお金が入らない。お金が入らないと復興できないから」
あれから1年
今年(2018年)の7月5日で、朝倉は豪雨被害からまる1年の節目を迎える。
市内では今でも大きくえぐれた山肌や、流れが大きく変わった河川など、豪雨の爪痕は随所でみられる。
しかし京子さんと喜一さんの脳裏には、朝倉の「負けたくない」農家の表情が常に投影されている。
家を流され、周囲には生産をやめると話していたのに、気がついたらまた生産を始めていたオクラ農家。
畑に土砂が流れ込んでもなお、野良着にタオルを頭に巻いて一から土作りに打ち込むナス農家――。
「自分たちが彼らの青果を高く売って、彼らの生活を支えなければ」と意気込んでいる。
「吉祥果」の願い
ところで店名にある「吉祥果」とはザクロのことだ。
ザクロには小さな実がいくつも詰まっている。
もともと「子孫繁栄、商売繁盛」の願いを込めて修一さんが名付けたが、豪雨被害を経た今、この名前にはもう一つの意味があると喜一さんは考えている。
「朝倉は『豪雨に負けずにいいものを作りたい』という一つ一つの農家が、ザクロの実のようにまとまった産地なんです。その思いをまとめて発信する、ここがその前線基地でありたいです」
(※)朝倉市以外に、近隣の東峰村や大分県日田市なども含む。死者は「災害関連死」を含む。
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