久保山幸一さん(モモなどの果樹農家)

あの日、水は川からあふれてきたのではありませんでした。(畑の横の)国道を流れてきたんですよ。土砂、流木、そしてタンスまで流れてきた。

いつも見ている畑の景色が全く違う。一面水没しましたから。テレビの中のことでしかなかった「被災地」が自分の農地で再現され、ショックでした。

1991年の台風で木をなぎ倒されたことはありますが、まさか雨でやられるとは……。被災後2か月くらいはひたすら、土砂の撤去ばかりでした。

今まで土作りにこだわってきました。化学肥料は使わず、米ぬかやコットン由来の肥料を使う。また農薬の代わりとして、酢や焼酎なども用いる。

土を変えれば必ず味に反映され、「おいしいね」「またちょうだい」と売り上げが伸びるんです。土の作り方一つで人気を出せるのがやりがいです。

しかし畑に土砂が流れ込み、約20年かけて作ってきたその土が失われてしまった。でも嘆いてはいられない。また一からやり直しですよね。

めげずに頑張っている? いえいえ、めげてますよ(笑い)。さすがに被災直後はずっと頭を抱えていましたし、収入も例年より3~4割減りました。

でも生活していかないといけない。そんな切実な事情があるから、畑に立つんです。今年はモモの生産を広げ、さらにキウイの生産も始めました。

それに地域を守らんと。若い人がどんどん減っている。でも私たちが頑張って楽しい生活を送れば、少しは戻ってくるかも知れないじゃないですか。

豪雨から1年。あっという間でしたね。後片づけ、出荷、農器具の補助金申請……。「あれもせんと、これもせんと」の積み重ねでここまで来ました。

でも、1年の節目にはさほど意味がない。果樹の土作りは3~4年しないと結果が出ませんから。「桃栗3年」のことわざはまさにその通りなんです。

本当に満足いくものを作れるようになる数年後、笑顔でこう言いたいですね――「今まで以上においしいのができました。お待たせしました!」

椿賢二さん(ネギ農家)

あの日、22棟あったハウスが全て水没しました。作物はもちろん全滅。そして30トンものゴミが流れてきて、ハウスにひっかかっていました。

でも持っていた機械は水没してしまい、撤去のために使えない。全部手仕事ですよ。片づけても片づけても、全然片づいた実感がない。

「ああ、もう流されて死んでいたほうが楽だったかな…」。そう思いましたよ。出荷再開は3か月後、片づけが終わったのは8か月後でした。

ハウス内の土も泥をかぶった。今まで何年もかけ、堆肥を入れたり耕したりして独自の土を作ってきた。それで自慢のネギができました。

でも山の土が流れ込み、雑草が生えやすくなった。見たことのない草が生えるんですよ。おまけに虫もわく。育てる手間は格段に増えました。

でも土の総入れ替えはしたくない。やるとこれまでの土が失われる。たとえ赤土混じりでも、何年かかっても、現状を改良する方がましです。

なぜ朝倉の人は強いか? うーん、むしろ元に戻したいという気持ちが強いんですよ。だって死なずに、現にこうして生きていますからね。

次男の京龍(けいたつ、高校1年、写真左)は、小学校の卒業文集に「日本一の百姓になる」、中学校の文集には「世界一の百姓になる」と書いていた。

今時こんな子いないでしょ。自分の農業を子どもに残しておきたい。それに農業が自分の代で終わったという事実は残したくないですしね。

あの豪雨から1年経ちます。「もう2度とあんな目に遭いたくない」。今思うことはそれだけです。今もこの時期(6~7月)雨が多いですから。

朝倉は今もまだ「被災地」と言われている。でも今後5年、10年たてば、別の大きな災害がどこかで起こって、絶対に朝倉は忘れ去られる。

だから「いつもと変わらず作り続ける」。その気持ちが大事です。だから「いつもと変わらず買ってください」。皆さんにはそう言いたいです。

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